2016年9月20日火曜日

フランク王国と馬具


フランク王国は、5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国で、現在のフランス・イタリア北部・ドイツ西部・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・スイス・オーストリア及びスロベニアを領土とし、最大版図はイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域に及ぶ。
ゲルマン系フランク人サリー・フランク族が建てた王国であることからこの名がある。
首都は508年にパリに置かれ、カール大帝時代はアーヘンに王宮が置かれてここが事実上の首都となった。

ローマ帝国の権力が衰え、騎馬民族がそれに代わって各地で勢力を伸ばし始めた中で、フランク族の軍事力がひときわ群を抜いていた。
その理由は、彼らが轡や鐙の馬具を全面的に採用した最初の民族だったからだ。

このため馬は大変制御しやすくなり、馬上の騎士は人馬一体となって戦うことができるようになり、騎手が振り回す長剣は威力を増し、射撃手も正確に矢を射ることが出来るようになった。
当時の最先端技術により馬の力を最大限にひきだし、軍事力強化で領土拡大に成功した。
日本でも、騎馬民族国家時代があったといわれているが、中世のはじめは馬の馬力が国を動かしたようだ。
しかし最強といわれた武田騎馬軍団も、鉄砲の出現によって、やがて消滅していった。

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