2017年10月12日木曜日

元寇からモンゴルの襲来へ?


日本の大相撲では、モンゴル出身の力士が大活躍している。
そのモンゴルの主都ウランバートルは今や近代的な大都市に変身している。その中央部には、大きなチンギスハン【成吉思汗】の銅像がある。テレビロケなどをみると、住民は親日的な人ばかりである。
しかるに日本の文部省は、最近中学校の歴史教科書で、「元寇」から「モンゴルの襲来」へ変えようとしている。その意図は単に解りやすいということだけだろうか。
歴史的背景はかなり複雑なので、簡単に変えるには問題がありそうだ。
当時世界最大最強の帝国であったモンゴル帝国の最強の兵は、もちろんモンゴル人の騎馬隊(特に弓騎兵)だったが、元寇において日本を侵略したのは、モンゴル人の騎馬隊が中心ではなかった。
元寇は、元朝の属国となった第25代高麗王の忠烈王が、フビライ・ハーンに日本侵攻を強く進言し、文永の役
では高麗が大規模な戦艦と人員を、弘安の役では、南宋の戦艦と人員を追加して襲来したのだ。




だから「元寇」から「モンゴル襲来」へと歴史用語をスライドすることは、
1)「元」という中国の王朝による、日本への侵略(ゆえに「元寇」)
2)「高麗」による対馬・壱岐での日本人への残虐行為や漢軍による侵略行為
この二つの史実を中学校の歴史教育の段階から外し、
あくまでモンゴルが日本を襲来した(中国も朝鮮も関係ない)という誤ったイメージを増幅しかねず、かえって歴史教育を歪んだものにしかねない。

現在、「日本は歴史を直視せよ」という隣国の主張を多く聞くが、元寇の話題は忌避されている。

以上のことから、中学校の学習指導要領においては、従来どおりの「元寇」を用いることが、日本の歴史を知るうえでも、モンゴル国の歴史を知る上でも、より妥当であると思う。

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