2018年10月18日木曜日

末盧国は宗像説の根拠は?

最近下の図のような、末盧国は宗像という説が登場した。
従来の松浦や唐津という説と比較してみよう。


1)地名の発音:
 末盧、伊都は地名として松浦や怡土と言う類似の場所があるため、今まであまり異論がなく比定されてきた。
宗像の地名では類似性がなく、この地区にも類似の地名が見当たらない。
2)一支国(壱岐)との関係:
 宗像説は壱岐からの距離が千里だから、何とか可能性があるということが主な理由である。この理由でいくと博多や新宮湊や福間も可能性がある。
3)伊都国との関係:
 伊都国にも湊があるのに、何故末盧国に上陸する必要があったのか?という疑問がのこる。宗像説ならば伊都国には湊がないから、当然末盧国に上陸しなくてはならない。
4)不彌国との関係:
 不彌国への方向は東南だから、宗像説のほうが実地に合致している。ただ途中に遠賀川や仲哀峠という高い山越えが必要で、弥生時代の道路では考えにくい。神功皇后時代の経路はつぎの図のようだったという。また景行天皇の九州遠征でも、このルートは避けている。

いずれの説も、問題点があり、優劣つけがたい。

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