2025年8月10日日曜日

[千早]の語源 いろいろ

 ◎「ちはや(襷襅)」

「いちはや(いち早)」。「い」の脱落。「いち」は進行感を表現する「い」による、「いたり(至り)」その他になる、動詞「いち」の連用形。「はや(早)」は「はやし(早し)」の項。 「いちはや(いち早)」は、表現としては「いきはや(行き早)」に似ている。

進行が早い。事態の成行が早い、ものごとが効率よく進む、もの、の意。

服の袖を働きやすくまとめるものであり、巫女などが雑事的なことをする際に用いる「たすき(襷)」です。後には、同じような目的の仕事着(外出着?)も「ちはや」と言う(巫女の衣裳と言えば、上白、下赤がよく知られますが、あれの上に羽織るように着るものです)。

千早 (ちはや・ 襅)とは、 日本 において古くから 神事 の際に用いられた衣装で、主に女性が着た。 

古代の 貫頭衣 の名残とされる。 



現代では 小忌衣 の一種とされ、身二幅・袖一幅、脇を縫わず衽(おくみ:着物の前身頃に重なる部分)がない以外は通常の単物の和服に似た形態をとる。 袖は縫わずに 紙縒 で止めるのは、もともと袖がなかった名残である。

在原業平の「ちはやふる 神代もきかず 竜田川  からくれなゐに 水くくるとは」という歌

  • 「ちはやふる」:神にかかる枕詞で、勢いの激しいことを表します。
  • 「神代」:神が治めていた時代を指します。

千早振る』(ちはやぶる / ちはやふる)は、古典落語の演目で、千早は花魁の名前。

『ちはやふる』は、末次由紀による日本女性漫画。『BE・LOVE』(講談社)において2008年2号 から2022年9月号まで連載された 。連載終了後、同誌同年12月号にて千早たちの卒業後の瑞沢かるた部を花野菫をメインとした展開で描いた番外編「はなのいろは ちはやふる番外編」が掲載された 。
競技かるたを題材とした少女漫画。本作の主人公は名人・クイーンを目指す少女・綾瀬千早。


千早城

鎌倉時代末期、幕府を倒すため後醍醐天皇方の楠木正成が金剛山一帯に赤坂城(下赤坂城)・楠木城(上赤坂城)などからなる城塞群を築き、本城の上赤坂の背後に築いた詰城が千早城。

千早川の渓谷を利用し、三方を絶壁で囲まれた山城で、背後には金剛山が控える要害の地。尾根上に配置された13の曲輪と、尾根につながる稜線上に配置された9の曲輪で構成されている。1333年(元弘3・正慶2)1月28日、20万の鎌倉幕府軍は進軍を開始し赤坂城が落城。楠木城は1ヶ月の籠城戦を行ったが水を絶たれ落城。残すは1,000人ほどが籠城する千早城のみとなったが、寄手に大石や大木を投げ落とし矢を射かけるなどの奇策や、夜襲と徹底的なゲリラ戦にあい、寄手は多数の死者を出し続けた。籠城は100日にもおよび、幕府軍が千早城に釘付けとなっている間に、新田義貞が挙兵し鎌倉幕府は滅亡へと追い込まれることとなった。

          香椎と千早




御神木・綾杉の石碑「ちはやふる」
- 福岡市東区香椎宮 -
     「千早ふる 香椎の宮の綾杉は 神の みそぎに たてるなりけり」
 香椎宮の狛犬を抜け、石段を上ると朱塗り囲いの大杉があります。この木は香椎宮の象徴、パワースポット・御神木「綾杉」(あやすぎ)です。綾杉は炎上や台風などで何度も倒れた記録がありますが、その度に新樹が生れ出て成長したと言われています。まさしく神の木であり、この木の下に立つと生命のパワーを感じます。木の前に綾杉を詠んだ「千早ふる」の石碑があります。鎌倉時代に編集された「新古今和歌集」の歌の一つですが、残念ながら詠み人知らずで作者は分かりません。

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