杉原千畝は、「政府の命令に反して、ユダヤ人に約6,000枚の日本通過ビザを発給した外交官」として広く知られているが、若い頃に、ソ連との北満州鉄道譲渡交渉に携わり、功績を挙げていたことはあまり知られていない。
1932年(昭和7年)3月、事実上の日本の傀儡国家として満洲国の建国が宣言され、ハルビンの日本総領事館にいた千畝は、上司の大橋忠一総領事の要請で満洲国政府の外交部に出向。
1933年(昭和8年)、満洲国外交部の書記官としてソ連との北満洲鉄道(東清鉄道)譲渡交渉に携わる。
満洲国外交部は、鉄道および付帯施設の周到な調査をソ連側に提示した。
ソ連側は譲渡の代償として当初は荒唐無稽な6億2,500万円を要求し、満洲国は5000万円を提示していた。
杉原らは、譲渡の代償として1億4,000万円とソ連側従業員の退職金3000万円を満洲国が負担することで北満鉄道讓渡協定を締結し、東清鉄道は満洲国に買収された。
ソ連側の提示額は当時の日本の国家予算の一割強に値するものであり、杉原らによる有利な譲渡協定の締結は外交的勝利であった。
外務省人事課で作成した文書には、杉原に関して「外務省書記生たりしか滿州國成立と共に仝國外交部に入り政務司俄國課長として北鐵譲渡交渉に有力なる働をなせり」という記述が見られる。
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