安徳天皇を戴いて京都を脱出した平家軍は、最初に九州の大宰府まで移動して都を開こうとしたが失敗して屋島にもどっている。
当時の遺跡としては、遠賀川河口の芦屋に御座所跡の石碑があり、大宰府に近い那珂川町の安徳台の御座所跡も有名である。
壇ノ浦の海戦でなくなった安徳天皇を祭るお宮は、下関の赤間宮である。
さらに久留米の水天宮も安徳天皇を祭っているといわれている。
本当は壇ノ浦で亡くなったのではなくて、小倉の徳力団地の近くの隠蓑という地名の場所にかくまわれていたという伝説もある。
壇ノ浦の海戦でなくなった安徳天皇を祭るお宮は、下関の赤間宮である。
しかし九州各地に安徳天皇に関する伝説的な遺跡が存在している。
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