2013年6月2日日曜日

■【本能寺の変】天正十年(1582)6月2日

備中の秀吉を支援にむかうはずの明智光秀が謀反し、京都本能寺に織田信長を攻撃し、続いて二条御所に信忠を襲う。
光秀は福知山から京都にむかう
信長は本能寺に・信忠は妙覚寺にいた。
信忠は急遽二条御所に移る
信長からの逃げよという連絡がおくれる
信長は炎上する本能寺で、信忠は二条御所にて相次ぎ自刃。
信長享年49歳、信忠享年26歳。信忠が逃げよという司令で北へ逃げのびていれば、歴史は変わっていたかも知れない。
明智軍ははじめ本能寺のみを取り囲んだ
信忠は二条御所に篭城して自決した
本能寺再現図

高野山攻めに赴いた織田勢は信長死去の報に退却、高野衆に反撃され痛手を受ける。
イエズス会巡察師の記録に弥介が本能寺から二条御所に伝令した記録がある
またこの報に接した徳川家康一行は急ぎ国元へ向かい難を逃れたが、別行動した穴山梅雪は山城宇治田原で一揆に殺される。

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