2013年6月15日土曜日

毛利元就の教訓


 元就は弘治三年(1557)に家督を嫡子隆元に譲ってからも、尼子氏や大内、大友氏といった大勢力との戦いに心を砕きました。
 有名な厳島の戦いでは、隆元の情報と意見で陶との戦を決意し、元春の奇襲作戦と隆景の船団集結作戦を総合して勝利をします。
隆元は陶軍の情報を集め総合判断をする
隆景は村上水軍を呼び込む
元春は裏山から奇襲攻撃をする
 晩年になっても兄弟一族の結束を訴え、そこから有名な「三矢の訓」の話が創作されます。

 元就は前年の元亀元年(1570)九月から重い病にかかり、一時は回復して年を越したものの五月に再発、元亀二年(1571)6月14日の日、吉田郡山城で没しました。享年75歳。
このときは、毛利氏が九州から兵を撤退することになりました。

もう孫たちの時代になっていた関ヶ原の戦では、3本の矢も結束が破れて、徳川派に内通していた広家、寝返った小早川と、輝元の行動がばらばらであったため、2ヶ国に押し込められました。


0 件のコメント:

コメントを投稿