2015年2月3日火曜日

懸命行動と戦争と平和〔改訂版)

吉田松陰の密航は命懸けの行動であった。
戦後70年でよく取り上げられる特攻機も命懸けの作戦であった。
特攻機

イスラク国でのジャーナリストの活動も命懸行動だった。
イスラム国事件

吉田松陰は、大河ドラマでも発言していたように、孟子のいう性善説を唱えいた。
正しいことは必ず理解されるという人生観にもとづいた善行動。
この善行動は自己の内面的要求をみたす人格実現だから、哲学的には西田幾多郎の言う「絶対的善」であろう。

イスラム国でも同じような教育が行われているのだろう。
しかし個人の懸命行動と、政治的な懸命行動とは、別次元のものである。政治では善が正義にすりかえられる。

政治の権力者が使う戦争のプロパガンダには10の法則がある。

1.「われわれは戦争をしたくない」
 2.「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
 3.「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
 4.「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
 5.「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
 6.「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
 7.「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
 8.「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
 9.「われわれの正義は神聖なものである」
 10.「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

日本でも戦時中このような政府のプロパガンダを多々経験した。
松蔭の懸命行動が戦時中の特攻精神の教育に使われたが、特攻隊生き残りの人の多くは、当時の実情は志願でなく殆ど指名による特攻部隊だったといっている。
最近中国の防衛費が10%の伸びで、ガス田を開発したり、尖閣列島を乗っ取ろうとしている。これに対して日本は?というあせりの声がおこってい る。
安保関連法案の改正で、多国籍軍と共同で戦争をすることになりそうだ。まだ懸命行動のよびかけまではないが、やがて徴兵制度への動きにつながるかも知れない。
 
しかし敗戦国の日本は、永世中立で最小限の防衛本位の軍備ですますのが原則である。
藤原正彦の「国家の品格」では、情緒のある文化度の高い国は戦争を起こさないし侵略されにくいという議論がされている。
幕末の混乱期に植民地化されなかったのは、西欧諸国が日本の文化度の高さに感銘したからという説もあり、三島由紀夫の「文化防衛論」もこのような趣旨であった。
ギリシャなどが今も存在しているのは、かっての文明度の高さからだろうか。
だが軍国原理主義の指導者が近隣にいると、被害はまぬかれないこともある。
その時はかってのフランスのようにあっさり占領されて、地下でのレジスタンス運動を展開するのがよかろう。
負けるが勝ちというように、負け上手のフランスを学ぶべきだ。
日本も大きな負け方をしたあと、復興できたのだ。
仏・独の国旗
昨日西ドイツの首相の話では、「戦後フランスはドイツに歩み寄ってくれた」と言う話をしていた。
世界中が、犬猿の仲だったフランスとドイツのように仲良くなれば良いと思う。

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