2018年7月29日日曜日

縄文時代の土偶や土器

NHKで縄文時代の土偶の解説を試みていた。
その美を、死者が再生するという信仰の世界で意義付けしていた。
しかし土偶の殆どが女性像であり、女体の魅力をあらわす造形がおおく、性器や妊婦などもあって、中には妊婦の腹の中に子供をいれたものもある。死者の再生というよりも、子造りのための儀式を連想させられる。
旧人類の人骨は、ネアンデルの谷(タール)で発見された人骨だから、旧人類にこの名前がついた。

その後、旧人類から新人類(ホモサピエンス)に交代していった真相を追究する大プロゼクト研究(約100名)が続けられた。



その結果、原人時代にはいり、アフリカからアジア、欧州にひろがった旧人と新人が、微妙にわかれて進化したが、旧人は滅亡していったことがわかった。



その原因は、新と旧で、学習能力の差にあったこと、そして、旧人は20人位の集団生活だったが、新人は150人位の大集団生活だったのが学習能力の差となったことなどが、このプロジェクト研究で、結論付けられた。
青森県風張1遺跡
長野県棚畑遺跡
群馬県東吾妻町

山形県舟形町



日本の縄文人は、ホモサピエンスだったが、島国で大集団で生活できる環境がなく、小集団の生活を強いられていた。

総人口26万人くらいで、九州、中国、関西、関東、青森など文化の地域性が強く、各地域に、血縁性の強い集団が住み、祖先を崇拝する神話的宗教、文化が育っていた。
そのため、1万年もの間、農耕などの新技術をしらずに、原人時代以前の古い生活を続けていたのだろう。
子供の死体は土棺に収め、再生を願って埋葬されていただろうが、土偶は、さらに子孫絶滅を防ぐための、女性の祈りの儀式や祭りのために、つくられたと想像できる。
実用的な金属はの道具や武器の開発はできなかったが、人間的な土器や土偶の制作にたいする美術的なすぐれた感覚は習得していたことがわかる。
縄文土器や土偶の展覧会が、国内やフランスで開かれ、大きな関心を持たれていることは、嬉しいことだ。





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