2023年5月18日木曜日

旧制高校の黒マント


 
旧制福岡高校の校章は「福」を意味する9個の「フ」の中央に太宰府の飛梅を図案化したもの。



旧制高校は昭和25年が最後の年となった。昭和20年3月に卒業した私たちの思い出は、黒マントと高下駄で、街や公園を闊歩した青春時代である。


黒マントでストーム

街や公園を黒マントで闊歩

当時はその黒マントの歴史を全く知らなかったが、どうやら陸軍の制服の変化に由来しているようだ。

大正時代になると日本陸軍の制服・制帽が明治時代のそれとすっかり様変わりになり、将校の冬用オーバーコートとして「外套」と「マント」の2種類が採用され、本人の好みでどちらかを着ていることが判ったのである。

このマントは「将校マント」とも呼ばれたようだ。

 その「将校マント」が、何故高等学校生徒の間で着用されるようになったのか、よくわからない。
だが、ほぼ間違いなく、旧制高等学校生徒はこの「将校マント」のゆったりした着心地を気に入り、カーキ色の生地を黒色の生地に変え、「将校マント」とほぼ同じデザインのままで愛用するようになったのだろう。
もしそうだとすると、旧制高等学校生徒がマントを着用しだしたのは大正年代の初期からであろうと推察される。

 その後昭和25年に旧制高等学校制度が廃止されるまで、晴れの日も雨の日も雪の日も、高等学校生はマントを羽織りあるいは肩にかけて町中を闊歩したのだ。

それは大正初期から昭和25年まで約40年の長いようで短い、旧制高等学校生徒のマント愛用の日々であった。


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