2024年2月8日木曜日

多色の美術はfine art

「 光る君へ」の大河ドラマでは、平安時代の女性が、十二一重の衣装で大勢登場する。

十二一重


日本人の色彩感覚は、東洋や西洋より優れていた証拠であろう。衣装だけでなく、当時の絵画なども、中国にくらべて多色であり、中国の識者からは、「多色の病に侵されている」と批判されていた。

明治維新後に来日したフェノロサは、東京大学で政治学、理財学(経済学)、哲学などの授業を担当する傍ら、日本美術に関心を示し、日本画の蒐集と研究を開始した。

次第に日本美術の世界に没頭するようになり、来日した翌年には狩野派の総帥、狩野永悳(えいとく)について、日本と中国の絵画の鑑定法を学び始め、絵画の収集をはじめた。

そして、日本人が思っているより、西洋画と比べても日本画には多くの美点がある。artとしても、applied art としてもすぐれており、このまま廃れてしまっていいのか?と問いかけた。

このフェノロサの問いかけは、日本の美術界や政府関係者を中心に大きな波紋を広げた。

明治政府の方針が急激な欧化政策に対する揺り戻しの時期を迎えていたという時流も受け、日本美術再興の機運が一気に高まった。

尾形光琳の燕子花屏風

フェノロサは、尾形光琳の燕子花金屏風を
applied art として評価していたが、さらに当時の東大森教授は、fine artとして評価し、飾る精神の作品であるとした。

本阿弥光悦の硯箱は和歌と絵の謎


本阿弥光悦にはじまる「琳派」の芸術集団の作品が、今までは装飾芸術家の集団として評価されていたが、最近の美術評価では、光悦がレオナルド・ダビンチであると評価されはじめた。

琳派の作品群


現在の東大辻惟雄教授も、装飾美術の高度のものを、fine art(かざりの精神)に格上げされている。

私も琳派の流れをひく小倉遊亀の金箔ぬりのツバキの絵を保有している。



西方浄土筑紫嶋: 日本美術の世界の進歩・拡大 (ereki-westjapannavi.blogspot.com)

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