西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2013年7月1日月曜日
河合玉堂
少年時代から絵がうまく、順調に絵描きの修行をしてきた。
しかし自分の描く素材を見出すのに苦労したという。
素朴な自然な田舎の風景と人物に徹して、新境地を開いた。
しかし戦時中の戦意高揚の展覧会には、荒れ狂う海の波と岩をえがいた。 苦心の作だったろう。
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