西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2014年7月27日日曜日
岩屋城の戦い
岩屋城址
天正十四年(1586)
7月27日
,筑前岩屋城に籠もる高橋紹運が、島津軍の猛攻の前に再三善戦した後に自刃、城兵も全員玉砕して落城。紹運享年39歳。
あまりにも早い終焉だが、斜陽の大友家にあって、最後まで義に生きた名将・高橋紹運の名は、四百年以上を経た現在においても色あせることなく語り継がれている。
その生家は吉弘氏で、秀吉の没後の関が原の戦乱当時、大友軍として黒田如水と別府で戦い、敗れて滅亡している。
紹運の長男は立花道雪の養子となった立花宗成で、関が原の戦乱後も復活して柳川藩主となり子孫は江戸末期まで存続した。
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