西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2014年9月17日水曜日
城の崎にて
志賀直哉といえば鎌倉を連想し、城の崎とは伊東の城ヶ崎海岸と思い込んでいた。
昨日のテレビで、城の崎温泉で直哉が逗留した旅館の紹介があり、但馬のキノサキ温泉だったことをはじめて知った。
直哉の文集をみると、大正2年に東京で省線電車にはねられて怪我をし、その治療のためにはるばる但馬の温泉に出かけたようだ。
その記憶を大正6年に短編「城の崎にて」として発表している。
洪水や地震の被害が多かった温泉らしいが、その旅館は今も存続し、隣室のない見晴らしのいい2階の部屋はそのまま存在していた。
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