西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2015年2月7日土曜日
毛利家の領土
毛利家の領土は、関ヶ原の戦の前に120万石だったものが、戦後に37万石弱に激減されたというのが通説である。
しかし専門書によると、毛利輝元の領土はそうだが、毛利一族の領土をあわせると、50万石弱になっている。
さらに小早川秀秋が50万石をもらっているので、合計100万石となり、徳川家康の目から見ると、取り分は20万石にすぎない。
秀秋が若死して後が絶えたから、毛利川の領土が激減したというべきだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
モバイル バージョンを表示
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿