西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2021年7月11日日曜日
人吉の殿様相良氏
今回の大雨で人吉盆地では大きな被害が発生した。
人吉城の付近も川は氾濫したらしいが、城は大丈夫だったらしい。
ここの22000石の殿様は相良氏で、頼朝の鎌倉幕府から任命されて下向し、室町時代、戦国時代、江戸時代をへて明治維新まで、670年の長期間、人吉で家系を続けた。
(頼朝時代の伊東氏や工藤氏とも親類関係であった。)
九州で長期にわたり存続できた理由は、僻地であったことや、盆地の奥には隠れ座敷のような小盆地がいくつもあって、内福の大名であったらしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
モバイル バージョンを表示
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿