テレビでは、豪雨災害のニュースや避難勧告情報などがながれている。
現在では、人工衛星などで気象予測のレベルも上がったが、それでも水曜日の雨のち曇りの予測ははずれた。
岡田武松気象台長は、大嵐が迫るたび、気象台長は安全な観測室を離れ、自分の身体を暴風雨の中へさらした。
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| 岡田武松 |
岡田武松は、日本の天気予報を近代化し、後に「近代気象学の父」と呼ばれた気象学者である。
中央気象台長を18年間務め、神戸海洋気象台の創設にも関わり、観測と予報の仕組みを整えていった。海で働く人々や農家にとって、天気予報は生活情報ではなく、生死を左右する情報だった。
岡田は第一回文化勲章を受章するほど高く評価されたが、華やかな功績の裏では、予報を外すことへの重圧に自分自身を追い込んでいた。
巨大な台風が接近すると、職員に任せて帰宅するようなことはしなかった。気圧、風向、雨量の変化を追い続け、食事も睡眠も後回しにして観測現場から離れなかった。数字を読むだけで満足できず、風がどれほど強く、雨が身体へどう打ちつけるのかまで確かめようとした。
1934年の室戸台風では、猛烈な暴風雨が日本を襲った。岡田は中央気象台長という立場にありながら、正装したまま自ら屋上へ上がった。吹き飛ばされかねない風の中で立ち、激しい雨を受けながら、大気の変化を肌で感じ取ろうとしたと伝えられている。机上で予報を指示する最高責任者とは思えない姿だった。
もちろん、風に当たれば気圧が数値として分かるわけではない。それでも岡田にとって現場へ出る行為は、観測機器が示す数字と実際の空を結びつけるために欠かせなかった。予報の先には、出航する船があり、作物を守ろうとする農家があり、避難を判断する人々がいる。外れれば誰かの命に届くかもしれない。その責任感が、彼を嵐の屋上へ向かわせた。
後世に残ったのは、文化勲章を受けた学者としての威厳ある姿である。だが、大雨の夜に気象台の屋上へ立ち、濡れたスーツのまま空を見上げる岡田の姿にも、日本の天気予報を築いた執念が表れていた。
日本海海戦の天気予報で有名な岡田武松氏の気象学講話の本によると、洪水の原因は、霖雨(ながあめ)と豪雨と雪解け水の3種類をあげている。
現在増えている集中豪雨は、まだ認識されていなかったようだ。
最近では「線状降水帯」や、「記録的短時間大雨情報」いわゆる“キロクアメ”などの新用語も登場している。
彼がつねに強調していた、大衆に解りやすい表現が、現在の気象庁では、豪雨を次のように述べている。
今日の雨は、わが家ではザーザーであった。
1時間の雨量(mm)
10以上~20未満
やや強い雨 ザーザー
20以上~30未満
強い雨 土砂降り
30以上~50未満
激しい雨 バケツをひっくり返したような
50以上~80未満
非常に激しい雨 滝のような
80以上~
猛烈な雨 息苦しくなるような


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