日本の工場を揺らした最初の国産モーターは、成功を告げる美しい音ではなく、小屋が崩れそうな爆音を響かせた。
明治末期、日本の鉱山や工場を動かす重電機械は、外国製品に頼り切っていた。
外国人技術者からは「日本人にモーターなど作れない」と見下され、国産技術への期待さえ笑われていた。
日立製作所の創業者となる小平浪平は、屈辱を飲み込んで終わる男ではなかった。外国製の機械が故障するたび、修理する日本人技術者がいても、新しい機械を造る力までは認められない。技術者として抱いた悔しさは、やがて強い反発へ変わっていった。
小平は茨城県の日立鉱山にあった小さな修理工場へ若い技術者たちを集め、国産モーターの開発に挑んだ。立派な研究所も豊富な設備もなく、作業場は掘立小屋に近かった。失敗すれば、日本にはまだ無理だと笑われる。部品を削り、組み直し、試験を重ねる日々の中で、彼らが背負っていたのは一台の機械の成否より重いものだった。
1910年、ついに日本初の五馬力誘導電動機が完成した。
試作機へ電気を通すと、金属がぶつかる激しい音が響き、床も壁も大きく震えた。洗練された外国製品とは比べようもない荒々しい始動だった。それでも回転軸は止まらなかった。小平は騒音の中で動き続けるモーターを見つめ、「これで外国の機械はいらない」と語り、涙を流したという。
後に日立は、日本を代表する総合電機メーカーへ成長し、産業の近代化を支える存在となった。だが出発点にあったのは、完成された技術でも華やかな式典でもない。油と鉄の匂いが満ちた小屋で、若い技術者たちが爆音に耐えながら、震える機械を囲んでいた光景だった。
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