2014年8月5日火曜日

馬と舟の絵

竹原古墳の石壁には、子供が書いたような馬と舟の絵がある。
そのまま象形文字ができそうな形の絵である。
古墳を作る風習は古代大陸や半島からわたってきたもので、装飾古墳はその末期のものである。この絵の解釈は次のようにいくつかある。
1)古墳に埋葬された死者の霊を来世に送り届けるため描いた。
2)渡来してきた騎馬民族のグループの墓であることを示すため描いた。
3)騎馬を百済に送り届ける役割を担っていたグループの墓であることを示すため描いた。
桃崎教授は3)の説をとられたが、はたして真相はどれであろうか?

2014年8月2日土曜日

装飾古墳の馬の絵


昨日のNHKで、古代の筑紫には馬に関係のある古墳が多いことを報道していた。そして、馬と船の絵を描いた装飾古墳として五郎丸古墳が紹介された。
また日本書紀には百済に馬を200頭送ったと記載されていることも紹介された。
古賀の船原古墳から出た馬具関係も、これらに関係のある人物の古墳だろうという説明であった。

五郎丸古墳は昔見学したことがあるが、ここの馬と船の絵よりも、古賀の近くの福津の竹原古墳のほうが見事な馬の絵である。



20年前の国立民族博物館でのシンポジュウムでは、馬と船の絵は、魂をあの世に送る来世への乗り物と解釈されていたが、今回古賀市で行われた福大の桃崎教授の講演では、より現実的な馬の輸出を示すものと解釈して話をされてた。

2014年8月1日金曜日

柳原家の女たち


 最近柳原白蓮の関連記事が多い。
白連は大正天皇の従兄妹であり、伯母が明治天皇の側室になる時の記事も面白い。
 当時、赤坂離宮には先帝孝明天皇の皇后、英照皇太后がお住居だつた。この大宮御所に皇太后附として上がるやうにと、御所から柳原家にお使ひが見えた。
お仕へする相手は女の方だし、大勢居る女の子のひとりくらゐは御所にあげなければ、御先祖代々の御関係もあることだし、と周りから言はれて白連の祖父柳原光愛もやつと承諾した。かくて、愛子十四歳にて、英照皇太后の御側に出ることになつた。
 その頃、御所が火事で焼けたため、明治天皇両陛下はひとまづ英照皇太后の大宮御所に立ち退かれた。すると、帝は毎日のやうに、英照皇太后の居間にご機嫌伺ひとて成らせられた。
周囲では、至尊はたとへ御母堂とて御自ら御足を運ばせられるのは異例と思つてゐた。 そこで、皇太后自身、天皇の本当の思召が察しられたのか、天皇が皇太后に打ち明けられたのか、はつきりしないけれども、結局、天皇は皇太后から愛子をもらひうけることになつた。
 焼け跡の御所の造営がなると、天皇は宮城にお帰りになり、愛子も供奉して、宮城内のお局部屋のひとつの主となつた。官名は早蕨典侍(さわらびのすけ)。
 それをあとで知つた祖父光愛の怒りやうはなかつたと、家族一同の語り草となつた。曰く、「今時の若い者はしようがない」。その若い者といふのが、恐れ多くもかしこくも帝を指してゐる。
 柳原家の女性は美人揃いだったらしい。


 



2014年7月27日日曜日

岩屋城の戦い

岩屋城址
天正十四年(1586)7月27日,筑前岩屋城に籠もる高橋紹運が、島津軍の猛攻の前に再三善戦した後に自刃、城兵も全員玉砕して落城。紹運享年39歳。
あまりにも早い終焉だが、斜陽の大友家にあって、最後まで義に生きた名将・高橋紹運の名は、四百年以上を経た現在においても色あせることなく語り継がれている。
その生家は吉弘氏で、秀吉の没後の関が原の戦乱当時、大友軍として黒田如水と別府で戦い、敗れて滅亡している。
紹運の長男は立花道雪の養子となった立花宗成で、関が原の戦乱後も復活して柳川藩主となり子孫は江戸末期まで存続した。

2014年7月24日木曜日

かるみの俳句


松尾芭蕉の俳句も、晩年になって「かるみ」という理念の域に到達した。

和歌の伝統である「風雅」を平易なものへ変換し、日常の事柄を自由な領域で表すことにした。

木のもとに 汁も鱠も 桜かな 
   (このもとに  しるもなますも   さくらかな)
「花見の句」だが、「かかりを心得て、軽みをしたり」と述べ、
「かるみ」の明確な定義を芭蕉は残していないが、
「高く心を悟りて俗に帰す」という言が残されている。

丸谷才一の句にも、このかるみの句が多い。

軽井沢も 暑いと聞いて 安心す
ばさばさと 股間に使ふ 扇かな
アジアでは 星も恋する 天の川
雪月花の ときに思へや いろは歌

特に暑い夏には、かるみの句が好まれそうだ。
 
 
 
 


2014年7月20日日曜日

官兵衛の賭け

今回の大河ドラマでは、今までの通説を破って、黒田官兵衛が「信長の死」を毛利方の一部の人物にもらして和平工作を進めるストーリーになっている。
面白いけれども現実的でない場面が幾つかあった。あまりに小早川隆景と官兵衛の仲を親密化しすぎである。

2014年7月17日木曜日

志登神社

15日夜、福岡県糸島市の志登神社で、本殿などが全焼する火事が発生し、木造の本殿と拝殿あわせて約130平方メートルを全焼した。
神社境内でことし3月にも伐採した樹木の一部を焼く火事が起きており、警察は不審火の疑いも視野に調べている。
以前史蹟めぐりで訪れた記憶では、豊玉姫が祀つられており、海上からも参拝できるよう西向きに建てられいる。
ちかくには有名な志登支石墓群があり、弥生時代前期の朝鮮系巨石墳墓として貴重な国指定遺跡になっている。