2013年1月3日木曜日

政治家と武将

源頼朝が平泉の藤原氏を攻撃するとき、後白河院の命令による正当化を得ようとしたが、後白河院は命令を出さなかった。
そごで、「戦争時においては最前線の武将の判断が朝廷の判断に優先する」という論理で、勝手に軍をすすめて藤原氏を滅ぼしてしまった。
昭和初期の関東軍の参謀たちは、政府の不拡大方針を無視して、満州から北支那へ軍を進めていった。
「統師綱領」「統師参考」という2冊の秘密書があり、頼朝と同じ論理の自己規定を定めていたという。

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