2013年1月30日水曜日

毛利と黒田

筑前国は秀吉時代に毛利(小早川)隆景・利秋が領有し、家康時代に黒田如水・長政が領有した。



毛利は元就以来の大豪族に対して、黒田は黒田村の小豪族から秀吉に仕えて身をおこした。
播磨時代ではいち早く主君小寺氏に、織田側につくように進言し、毛利の水軍と戦って、浦宗勝の軍隊と戦ってこれを破っていたことを最近知った。
その後秀吉の毛利攻撃の軍師をつとめて、信長の本能寺事件のとき大返しを提言して明智を討ったのは有名である。
小早川の水軍は村上水軍であり、名島城時代は名島城下に駐留していたが、福岡の黒田藩時代になると黒田に就いて若松城下に駐留していた。
毛利時代は14年、黒田時代は260年以上で、筑前では黒田の歴史が圧倒的にながいが、どこか目薬売りの印象がぬけていない。
隆景の墓は宗像に、宗勝の墓は唐原に、如水達の墓は福岡市にある。
昨日の敵は今日の友の歴史である。

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