2013年2月17日日曜日

長崎の通訳

江戸時代の海外貿易は長崎の出島に限定されていた。
だから通訳の仕事場も長崎に限定されることになっていた。
中国語の通訳は中国人にかぎられ、オランダ語の通訳は日本人のみであった。
それも4つの家系に限定されており、世襲制度であった。
だから各家で使用する用語が、変わっていることが多かったという。
蘭学を学んだ人物で、長崎で通訳の職にありつけないものは、江戸や大阪にでて、塾を開いたり、図書の翻訳を手伝ったりしたという。

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