2013年2月19日火曜日

論語の中庸

論語との出会いは中学時代の漢文の時間で、多くの論語の言葉がつかわれた。とくに忠義・中庸の思想は重要であった。
戦後は表面的にはその言葉が姿を見せなくなったが、気持ちの中では生息し続けていた。
重慶の大学で最近の学生気質について議論したとき、論語の話をしたら、異常な反応に驚いた。中国は論語を排除していた。
しかし最近はその見直しや復活がはじめられているそうだ。
安川敬一郎の日誌になかでは、論語の解釈とその事例に大きな頁をしめている。渋沢栄一を論語宗といわれる人物だと称しているのは面白い。一企業の利益追求に走るのでなく、社会の発展に貢献することを念頭に入れている企業家だったからだ。
10年前あたりからEUのマンスホルド委員長も、今までのように経済政策が単にGNPの増加を図るだけの方針では、ヨーロッパは亡びると主張しはじめている。
すべて論語の忠義、中庸の思想にあらわされている論理である。
忠義の忠という漢字は、中する心。正・反・合と進んでいく心である。

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