2013年5月2日木曜日

筑後川の名称


連休で原鶴温泉にでかけた。丁度連休の谷間だったので、客も少なくゆっくり出来た。
宿の浴室の一つに「千歳の湯」と名付けられたのがあった。聞いてみると筑後川は、かって千歳川、筑間川などとよばれていたという。
公式名称は、寛永15年(1638)に徳川幕府により「筑後川」と呼ぶようにきめられた。
一番古い名前はちとせ川(千年川・千歳川)である。
藤原清長の選による和歌集(1310)には、
「君か為かきりもあらし千とせ川 ゐせきの波のいくめくりとも」
という明峰寺入道摂政の歌がある。
そのほか、中村梅鳥の「仲秋千年川に舟を浮ぶ」の漢詩
       蝶夢の「菜の花の色もはてなし千歳川」の俳句
などがある。
 現在も菜の花の色ははてなしである。

筑間川という名称は、筑前と筑後の間を流れる川だから、という意味をもたせた名称だ。
そのほか、筑紫次郎、一夜川などの呼び名もあった。
地元には千歳小学校があり、義弟の母校であることを思い出した。

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