2013年5月13日月曜日

平安・鎌倉時代の博多古図

今日のテレビで、平安時代や鎌倉時代の博多古図の地名を訪ねる番組があった。
中世初期の博多
櫛田神社の周辺には唐人が住む唐房地区があり、輸入した陶磁器類の廃棄場所がみつかっている。
また長浜は今の海の中道のような細長い砂浜であった。

美野島は蓑島という島で、いまでも岸にあった弁財天の鳥居と社がある。
南区の塩原(汐原)は海岸で塩を焼いていた地名の名残である。
住吉神社や櫛田神社も海岸近くにあった神社で、参道は海につうじていた。などなどがこの地図からよめる。
鎌倉時代の元寇防塁により、港湾都市としての構成も確立した。

その後の貿易港としての発展は、足利、戦国、豊臣時代まで続き、いろんな記録が残っている。
連歌師 宗祇 筑紫道記 より
フロイス 日本史 より


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