2013年5月3日金曜日

古賀市と騎馬民族


古賀市谷山の船原古墳の近くから、馬具一式が出土し、国宝級と騒がれている。


初期の説明会:わが夫婦の姿も奥にみえる。

古代から馬とのかかわりが大きかった場所らしい。
近くのグリーンパークの周辺には馬渡・束の浦遺跡、馬渡という地名や馬渡橋があり、ヒンドウという字名もある。
馬渡・束ヶ浦遺跡では3基の甕棺が出土し、中から青銅製品が発見された。古賀市付近はいわゆる「甕棺文化圏」の東限にあたるものと思われている。
甕棺

古賀ICの近くには馬違池があり、その北側には福岡県馬術競技場がある。



江上波夫の「騎馬民族国家」論では、5~6世紀の古代に騎馬民族が多数渡来してきて、まず北部九州に上陸して古賀周辺に駐屯したであろうという。馬のいななきが、犬鳴き連山にこだまして、この山の名前となったという説もある。
近代の日本人が明治時代の脱アジアや戦後のアメリカ化のような急変化を行ったように、5~6世紀の倭人も、騎馬民族の強力な文化に刺激されて、馬力とその文化の導入に傾倒したのであろう。


戦闘用具の出土品も、当地と周辺地域から多く存在している。

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