2016年1月15日金曜日

第1次上田城の合戦


大河ドラマ「真田丸」がはじまり、他局でも真田の歴史番組をよく放映しているので、今年は信州が歴史の焦点になりそうだ。
関ヶ原に向かう途中での、秀忠による上田城攻撃の失敗は有名であるが、これは第2次の合戦であり、その15年前の第1次合戦でも、徳川軍は上田城の攻略に失敗している。徳川と真田の因縁の歴史は深い。このあたりが前半のドラマの種になりそうだ。


今度の大河ドラマの幕開けは、滅亡寸前の武田勝頼の姿からはじまった。

武田勝頼役の平岳大
甲斐武田氏の有力武将であった真田昌幸は、主家滅亡後に織田信長に臣従し滝川一益の与力となるが、上野に乗り込んだ滝川一益が神流川の戦い北条氏に敗退して以後は、周囲の有力勢力(徳川・北条・上杉)の狭間で揺れ動くことになる(天正壬午の乱
真田は、滝川一益の敗退直後は北条氏に臣従するが、すぐに徳川氏の誘いに応じて乗り換え、上田・小県地方制圧の拠点として1583年(天正11年)に上田城の築城に着手する。

この時には徳川の支援を得たが、敵対する北条氏による上州方面での攻勢のみならず、北方の上杉氏からの妨害も受けている。
しかし翌年には北条・徳川の和議となり、徳川より領土の分割をもともられのに反発して真田は徳川と決別する。当初は北側に予定していた大手(防御正面)を対徳川を想定して東側に変更している。
その後徳川によりおくられた昌幸暗殺の使者を事前に察知して、逆に暗殺に成功する。
1585年(天正13年) 次子真田信繁(幸村)を人質に送り上杉景勝に臣従し、昌幸は上田城にて徳川軍(約7000)を迎え撃ち、撃退に成功するのが第1次上田合戦である。
前半の主役は父の真田昌幸の活躍となりそうだ。

真田昌幸役の草刈正雄

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