2016年1月8日金曜日

多神教と一神教

日本人は、初日の出を拝み、中秋の満月をめでる。
初日の出を拝む
山や森や岩などにも、神が宿ると考え、多くの神社をつくって来た。自然と向き合い、自然を愛する、多神教の有難味である。

一神教の世界ではそうはいかない。

旧約聖書のヨブ記 31章の26~28には、

31:26  太陽の輝き、満ち欠ける月を仰いで
31:27  ひそかに心を迷わせ/口づけを投げたことは、決してな い。  もしあるというなら
31:28  これもまた、裁かれるべき罪である。 天にいます神を否んだことになるのだから。

と書かれている。 太陽や名月を拝んでは、神を拒否したことになるようだ。

名月に祈る
ハードな一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などと変遷し、さらにイスラムは、スンニー派やシーア派などに分裂して、紛争の種になっている。

ソフトで、自然を愛する多神教を世界に広めることが、世界平和への近道かもしれない。

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