2016年8月21日日曜日

天下とりと経理技術


16世紀前半までは、日本の組織は一族重臣の協議で動いていた。
信長は美濃を征圧する頃から、兵農分離を行い、さらに有能な武将に、築城、兵糧調達などの特命を与えるようになった。
秀吉は、これを大規模に応用し、常任の主計将校部隊と輜重隊を創設し、大軍の遠征にも飢える心配がなくなった。
この任にあたったのは、増田長盛、長束正家らがはじめである。
この時代に、度量衡の統一や、貨幣の統一が図られるようになり、さらにヴェニスの商人がはじめた複式記帳がなどが知られるようになる。
増田、長束についで、石田三成、藤堂高虎らの近江出身者が、この主計将校として活躍し、天下統一や全国の検地、大阪城の築城や朝鮮出兵の裏方として腕を振るう。後半には大谷吉継、細川忠興も加わっている。
石田三成
大河ドラマ「真田丸」では、長束は端役であり、石田は冷徹で人間味のない人物に描かれている。


社会的にこれらの経理技術が、現代のように理解されていない時代だから、戦闘部隊の福島、加藤、黒田などからきらわれるのは仕方がない。

戦前、軍国主義の時代には、民主主義の犬養総理と共に、財政の神高橋是清も殺害された。


戦後大蔵官僚から総理になった池田勇人は、もう戦争の出来ない時代だったから成功した。


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