2022年10月8日土曜日

加野宗三郎コレクション

 

特別陳列「大正の文人画ネットワーク-加野コレクションを中心に-」

令和4年3月19日(土曜日)~令和4年5月8日(日曜日) 

加野宗三郎
 笠岡市立竹喬美術館で 「 大正の文人画ネットワーク -加野コレクションを中心に」 が開催されました。2022年年3月19日(土)~2022年5月8日(日)
加野本家で、宗三郎さんの孫にあたる加野象次郎さんが、最近寄贈されたものの展示です。
 

九州福岡において、大正時代から昭和の前期にかけて壮大な芸術サロンを形成した加野宗三郎(1889-1946:明治22-昭和21年)のコレクションを通して、大正文人画のネットワークを探ります。

加野宗三郎は、明治22年に福岡市中奥堂町に生まれ、家業の造り酒屋「萬屋(よろずや)、銘酒金盛」を営む傍ら、文学や美術に傾倒し、別邸の「環水荘」や「柳北亭」に文人を招いて、創作と交流の拠点としました。

加野宗三郎は、夢野久作(杉山直樹、杉山茂丸の嫡男)と中学修猷館で同級生でありました。

梅津只圓翁から能楽の指導を受けた福岡地方の人々の中に、狩野宗三郎の名前があります。

当時の能楽趣味の博多商人の名前を参考にあげてみました。

(仕手して方):牟田口利彦(旧姓梅津)、野中到、隈本有、中江三次、宇佐元緒、松本健次郎、加野宗三郎、佐藤文次郎、堺仙吉、一田彦次、藤原宏樹、古賀得四郎、柴藤精蔵、小田部正二郎、杉山直樹、前田利鬯、石蔵利吉、石蔵利三郎

(囃子はやし方):安川敬一郎、古賀幸吉、今石作次郎、金内吉平、西島一平 、清水嘉平 、栗原伊平、国吉静衛、杉野助三郎、野村祐利、在郷三五郎、生熊生

(狂言方):小嶺武雄、宮野儀助

博多港から博多駅へと向かう大博通りに面して、加野宗三郎の屋敷の一つはありました。
屋号は萬家として酒造業を営み、酒屋のポスターはあの歌人の吉井勇(旧伯爵)によるものでした。(彼は柳原白蓮の姪と結婚するも、華族事件で離婚)

加野家の店のひとつ。

青木繁、冨永朝堂、津田青楓、森田恒友などの美術家、与謝野鉄幹・晶子、吉井勇、高浜虚子などの歌人が来福滞在して、制作した作品が残っています。

宗三郎のコレクションは、近代の作家の作品だけでなく、桃山時代の風俗画や福岡ゆかりの仙がい義梵の水墨画など多岐にわたる内容です。


今回の展示では、特に交流の深かった青楓、恒友の作品を中心に、国画創作協会の榊原紫峰、村上華岳、小野竹喬らを加えた約50点の作品により、福岡の地に展開した文人画の諸相を紹介します。

近代美術史上において、いまだ知られざる大パトロン、加野宗三郎の存在を認識していただければ幸いです。

 地元福岡でも、10月6日(木)、立石ガクブチ店(福岡市博多区大浜)での「博多リバイバル・プラン」での会合では、加野宗三郎の展示会の計画が話題になったようです。

《蒲公英と猫》yおうです

榊原紫峰《蒲公英と猫》大正7(1918)年頃 個人

 JR南福岡駅の近くに加野宗三郎の屋敷はあった。

パトロン加野宗三郎を慕って北原白秋、与謝野鉄幹夫妻などが訪ねきた。

その後、加野宗三郎の屋敷が炭鉱経営の中島徳松に売却され、中島徳松の屋敷になってからは、大川周明が訪ねてきた。

今では、マンションになっていて昔の面影はないが、裏門の石柱と主樹木、夫婦池が痕跡を示す。
このマンションに住む住人は、そんな歴史的な屋敷跡に住んでいるなど、思いもしないだろう。



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