西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2014年3月10日月曜日
足利義昭
新田さんの教えで義昭も結構苦労人であったことを知った。 若狭から越前朽木の朝倉義景のもとに移り、上洛のたすけをもとめ、その後信長によりやっと上洛し将軍となれた。しかしやがて信長と対立しまたおわれて毛利の援助をうけ鞆に落ち着いた。60年の人生。将軍在位は20年とされるが、最後はあいまいだ、
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