2015年4月22日水曜日

奈良屋町

 博多のふるい町名に奈良屋町があり、奈良屋小学校もあった。
 町名の由来は奈良屋九兵衛がすんでいたからと言い伝えがあるが、その人物の詳細はわかっていないという。
 ネットでいろいろ検索してみると、酒屋で財をなした豪商だったらしく、奈良に祖先がいたらしいということがわかった。
 さらに江戸時代の系図のなかから、福山藩(備後)の福島正則(安芸・備後)が所領を没収されたあと、大和郡山から水野勝成がが入封したとき、奈良屋の宗家が福山についてきたことが記載されている。
 水野藩は5代でとだえ、松平、阿部と藩主が代わっていった。
奈良屋小学校
この間に奈良屋家は、この地区に縁者の多かった黒田の人 脈をたどって、博多の地に移りすんだのであろう。


福山時代の奈良屋家は、藤野家との縁組もあり、両家は親類だったことも記載されている。


どこまで真実かはわからないが、うちの子も一時福山勤務の時代があり、その妻は奈良女子大卒なので、不思議な縁を感じた。

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