私の中学時代の教科書の地図をみると、日本は統治していた区域を6支庁に別けていた。
最西(↓印)がパラオ、最東(←印)がヤルードで、日付変更線に近い。
息子の嫁の父はパラオの生き残り、従兄弟の一人はサイパンで戦死、知人の父はヤルードのミレー島で玉砕など、70年前の激戦が思い出される。
硫黄島やサイパン島での玉砕の映画、
ミレー島戦士の証言動画(http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210035_00000)、
ガム島からの帰還兵の記憶などが頭をかすめるので、先日この南太平洋のクルーズ旅行を楽しんできた知人の話をきいて、いささか違和感を覚えた。
南洋群島の地図 |
多数の玉砕の島 |
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