この国交回復にはその交渉役の対馬の宗家やその外交僧たちが、国書を偽造してまでして、両国の国王の面子をたてるよう努力した。
また、両国王もうすうすそれを感じつつも黙認して、国交の回復を承認した。また後に偽造が暴露されても、宗家を厳罰にはしなかった。
要するに国交回復による通商復興の利益が大きければ、国交の条件はかなり緩和されるものだ。
花鶴浦と朝鮮通信使
△△△近世にみる4自治体連携の足跡△△△
古代ばかりか近世約200年間(1607~1811)も、隣国朝鮮半島との友好関係が持続していました。その史実は朝鮮通信使に絡む足跡から明らかです。
花鶴浦の漁業権放棄は1658年。「江戸後期に花鶴浦から瓦を出荷していたのは確か」の証言とも合致。
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