原爆は広島と長崎だけに落とされたと思っていたが、そのリハーサルが行われていた。
上空9000Mから落下させるため、目標地に正確に落とすためには、訓練が必要であった。
米国で原爆実験が成功した7月16日の直後に、長崎に落とす原爆と同じ形状で同じ重量のNTN爆弾をつくり、7月20日から8月14日まで、30都市に49発も投下訓練をおこなっている。そのため、死者400人、負傷者1200人位の犠牲者がでている。
日本側は、この少数のB29による新種爆弾の攻撃は、多数のB29による焼夷弾都市攻撃にくらべて損害軽微とみて、全く応戦しなかった。
爆弾投下の精度は、当初は目標より2Kmくらい外れていたようで、宮城をねらったのが東京駅の八重洲口の東の八重洲橋付近に落ちた。
宮城の東側に落下したパンプキン爆弾 |
49回の練習で精度を向上したようだ。
ただ最後の8月14日の投下は、広島、長崎の後であり、降伏発表前に第3の原爆が用意されていたからである。
しかし15日に日本が無条件降伏をしたので、投下されずにすんだ。
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