2011年10月23日日曜日

人命と経済

 「経済」とは経世済民の短縮語で、民衆を救済するための論理である。
しかし利益追求のために、民衆に犠牲を払わせるような論理がよく出てくる。  
 人の命と「経済利益」を混同して起きた1970年代のフォード・ピント事件がある。
 フォードがはじめて小型車の分野に参入し、その第1号がピントという車で、それまで小型車なるものを設計経験がなく、後ろのトランクに置いたガソリンタンクの設計が悪く、追突されると火災を起こし、数人が焼死した。
 フォードの社内で緊急会議がもたれ、ピントをリコールして修理するか、このまま放置するかが議論された結果、リコールするとお金がかかり、このまま放置して数十人の死者がでて補償金を払ってもその方が安いということになり、放置することになったという。
 現実には次々と死者がでてフォードは社会的に非難されて、結局リコールしたということになったそうだ。

 寝たきりになった老人はある意味では人間社会の重荷になるかも知れない。そして医療費が増え、社会はその負担に耐えられなくなる危険性がある。
 だからといって寝たきりになったら終わりになってもらうことは人間にはでない。経済思想の言葉では、実証はcool headで、規範はwarm heartであれというそうだが、どのようにバランスよく判断するかの論理は明確ではなかった。
 医療の進歩と経済の矛盾をどう分析し、解釈するかが現代社会の大きな命題である。

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