2011年11月22日火曜日

2.26事件の評論いろいろ

80年前の2.26事件の日。関連のテレビ番組をいろいろみた。



青年将校が決起した大きな理由は農村の悲惨な困窮であった。(当時小学生だったが、号外をはじめて体験した。)結局これを解決したのは、皮肉にも戦後のマッカーサーによる農地解放だった。

岡田首相は即死と報じられたが、巧みに救出された経緯をはじめて知った。

また鈴木貫太郎も登場した。
2.26事件で重傷を負い、終戦内閣の総理をつとめた。思い出の多い多難の軍人であり政治家であった。

「私はバドリオになる」という彼の言葉を思い出した。ムッソリーニが退陣しあとの首相になったバドリオは戦争継続を表明した。

当時の私の歴史の先生が彼の戦歴を紹介し、勇敢な将軍だと講義したが、そのあとイタリアはあっさり降伏した。翌日教授は坊主頭になって登校してきたのを思い出した。

叔父が航空隊長をしていてパレンバン落下傘部隊の指揮官だった。その成功直後鈴木大将を現地視察に飛行機で案内して、100円のチップをもらったと話していた。当時は退役して枢密院議長だったからだろう。その叔父も終戦前に戦死した。



2・26事件を1週間前に海軍は事件の内容を察知していたが、放置していたようだ。
このとき襲撃をうけて重症を負った鈴木貫太郎は、終戦の幕引き内閣の総理大臣を務め、再度襲撃の対象となったが、危うく難をのがれた。
幕引きが順調に進んでいれば原爆投下を受けなかったという説もあるが、本土決戦派の抵抗が強く、また米国はもっと早くから投下を決定していたという説もある。
軍部の暴走がウイルスのように蔓延していた時代に、その防止対策に奔走した人達の歴史を、もっととりあげる必要がある。

壬申の乱の本を3冊借りてきて読んでいたら、その中の一部に、2.26事件の話が出てきて驚いた。
最後の元老西園寺公望が、壬申の乱のような骨肉の争いが皇室内部で起きてはならぬと言っていたという。
貞明皇太后と昭和天皇の不仲、天皇と秩父宮との確執が憂慮されていたので、当時秩父宮を擁立する運動をしていた神政竜神会という団体が、2.26事件の時に同時に検挙されたという。

松本清張氏の絶筆となった『神々の乱心』は、かなりデフォルメされてはいるが、明らかにこの神政龍神会がモデルとなっているらしい。
埋もれた昭和史の一つであろう。

今朝のラジオで、2.26事件の被害者渡辺陸軍大将の娘さん(当時9歳)である 渡辺和子さん(ノートルダム清心学園の理事長)の談話が放送されていた。
当時の軍人の98%は許すが、2%は許せないものがある。
自分の心と平和にくらすこと。怒ることは環境破壊である。
などなど、宗教家らしい言葉が沢山あった。




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