2011年11月1日火曜日

宗教とあの世主義

宗教の伝道者は布教が本来の姿である。
仏教では良寛、円空、大拙、賢治、寂聴など、キリスト教では内村鑑三などの姿が理想的である。
江戸時代にキリスト教弾圧のために作られた檀家制度は、僧侶の生活を安定させ、真の宗教性を失わせた。
現在は次第に檀家制度も壊れ始めているが、宗教そのものも薄れてきている。
わが市でも寺院出身の市長が昨年落選したのも、そのながれでであろうか。 良寛さんのような布教者はもう存在しえないのだろうか。
わが家のお寺さんでも、檀家に支えられて布教活動などは全くない。

梅原猛さんの随筆をよんでいたら、「あの世主義」という言葉がでてきた。
わたしの年齢になると、この世の希望は少なくなり、その分あの世での夢を増やすようにしたら良いということらしい。
「70過ぎたらあの世に別荘を」と揮毫するそうだ。
もう80を過ぎたから、私も立派な別荘をもっていなければならないが、まだ設計図が曖昧な状態だと反省している。
しかしお寺さんに相談する気もおこらない。
幼少時を海辺で育ったせいか、海の見える場所が好きだ。
日本の固有海域を明確にするため尖閣諸島に国が護国神社をつくり、沖ノ島のように神官を常駐させておくような時代になれば、その海岸に骨を埋めて眠りたいような気もする。

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