2011年11月27日日曜日

天保の改革

水野忠邦による天保の改革は知っていたが、忠邦が唐津生まれだったことは昨夜のテレビで初めて知った。 九州発の筆頭老中はほかにいないだろう。
唐津藩主になったが、唐津藩は長崎警護の役目以上の役職につけないことを知って、石高は少ない浜松藩への変更を願い出て、次第に高い役職につき、最後には老中の筆頭までのぼりつめたという。
財政再建を強力に推進しするため、遠山の金さんを採用したが、節約令がいきすぎて最後は対立して、民衆の反感をかった。
天保の改革そのものは失敗におわり、最後は追放されてしまう悲劇的運命をたどる。
政治の世界は一人の能力だけでは達成できないという、典型的な例であろう。

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