2021年10月16日土曜日

雁行

 秋の渡り鳥「雁」。和名を「かり」という。

厂 (がんだれ)を「かり」とよむ。

珍名で、亜厂 (あかり)さんがいるそうだ。
森鴎外の小説、「雁」が戦後に映画になったとき、”東京に秋の渡り鳥、雁が見られた頃の物語である”という解説がされた。
小説では、学生たちが不忍池で休む雁に石を投げて殺し、食べる話があるからだ。今では考えられない話である。
「雁行の乱れ」の故事は、後三年の役で、源義家軍が家衡・武衡軍の籠もる金沢柵への行軍中、西沼の付近を通りかかると雁行の乱れがあり、八幡太郎・源義家が清原軍の待ち伏せを見破った故事を謂うが、現在は宇宙衛星の時代である。

博多湾の海の中道には、雁の巣という地名があり、昔は雁行が多く見られたのであろう。
昭和初期にこの地区に飛行場が建設され、いまは運動公園になっている。

雁行も見かけなくなったが、わが家の近くの二つの小山(三代山と前岳)の間(古賀市小竹と新宮町三代の間)に、鳥越という地名があり、そこの池を上鳥越池という。雁行の名残りであろう。

秋の渡り鳥の通路らしい。秋空をしっかり眺めて、一回でも渡り鳥の列を見つけよう。

高橋草坪の雁の絵


井上悦子さんの発見写真
秋の渡り鳥「雁」。和名を「かり」という。
厂 (がんだれ)を「かり」とよむ。
珍名で、亜厂 (あかり)さんがいるそうだ。
森鴎外の小説、「雁」が戦後に映画になったとき、”東京に秋の渡り鳥、雁が見られた頃の物語である”という解説がされた。
小説では、学生たちが不忍池で休む雁に石を投げて殺し、食べる話があるからだ。今では考えられない話である。
「雁行の乱れ」の故事は、後三年の役で、源義家軍が家衡・武衡軍の籠もる金沢柵への行軍中、西沼の付近を通りかかると雁行の乱れがあり、八幡太郎・源義家が清原軍の待ち伏せを見破った故事を謂うが、現在は宇宙衛星の時代である。
雁行も見かけなくなったが、近くの二つの小山の間に、鳥越という地名がある。秋の渡り鳥の通路らしい。秋空をしっかり眺めて、一回でも渡り鳥の列を見つけよう。

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