日本は侵略国ではなく、侵略したり侵略されたりしてきた歴史がある。
約千年前の「刀伊の入寇」はあまり知られていないが、対馬、壱岐から筑紫まで侵略されており、当時のヤマト朝廷の無能力さを示した事件であった。
有名な元寇の前にも侵略されたこの九州の歴史を、最近ローカルテレビで紹介されたので、その概要をまとめてみる。
1019年に、遼の配下の満州を中心に分布していた女真族とみられる海賊船団が、対馬、壱岐を襲撃して、老人・子供を殺害し、壮年の男女を船にさらい、人家を焼いて牛馬家畜を食い荒らした。
ついで筑前国伊都地域に上陸して殺戮し、さらに現在の福岡、博多東部まで侵入し、周辺地域を荒らし回った。
これに対して、太宰権師藤原隆家が、九州の豪族や武士を率いて防戦し、どうにか撃退した。
当時はどの国が侵略してきたのかよく解からなかったが、高麗政府は拉致された壱岐・対馬の島民を日本へ返還しており、高麗政府が関与していた可能性は薄いと考えられている。
この非常事態を朝廷が知ったのは、隆家らが刀伊を撃退し、事態が落着した後だが、朝廷は何ら具体的な対応を行わず、ほとんど再発防止に努めた様子はうかがえない。
その上藤原隆家らに何ら恩賞を与えなかった。これらの朝廷の無策の影響で、その後武家の力が増長を示すこととなった。
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