2025年9月9日火曜日

「萱町」となった名島城下町(改訂版)

(なじま)の語源には、地形による説 あるようだ。

松崎の高地から延びた丘陵が弧を描いて黒崎に達している地形は、手で撫でまわしたように、湾岸流で海触され崖地となっている。

「撫で間」が転じて「名島」となったという説である。


ワスレグサ(忘れ草、学名:Hemerocallis fulva)は、ワスレグサ属多年草の一種。別名で、ケンソウ(萱草 )ともよばれる 。

豊臣時代に小早川隆景が、海軍に適した名島城を築いたが、江戸時代に、黒田長政が筑前にはいり、名島城をすてて福岡城を建造した。

正保年間の地図によれば、名島の城下町は廃墟となったため、「萱町」(かやまち)と呼ばれていた。忘れ草のように寂れていたのであろう。

その東は「松崎村」、南は「箱崎村」、北は「秋山町」であった。


萱町と書かれている地図

その後、元禄14年の地図では、名島村になっている。


現在は文字がかわり、萱町が茅町となって残っている。多々良川を船で渡っていた渡場付近に茅町公園が存在する。


小早川時代の名島町の住人は、博多の中洲を超え、橋口町の西の上名島町、下名島町に移り住んで、名島町の名前は、福岡城の近くに存在していたが、現在はまた消滅している。




江戸時代の別のあやしげな地図では、名島が子島(ナ島?)になっている。志賀島はまだ離れ島の状態だ。

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