最近たまたま、冷泉町出身の人と、今泉町出身の人に出会った。福岡市の博多区と中央区の差があるが、文字がよく似ているので、混同しやすい。
地名の歴史を調べてみると、古代の博多湾には大きな入江があって、冷泉津と呼ばれていたので、冷泉は古くから博多の広い範囲を含んでいたようだ。その後の町の発展で新しい町名が増え、冷泉小学校も統合されて博多小になり、冷泉小の跡地は地下鉄工事で発見された古代遺跡を展示するための「博多遺跡」を作る計画が進行している。
今泉町の地名は、福岡の中心の天神と、南側の薬院の間に小規模の池あり、今泉池とよばれていたことから、地名になったようだ。田園地帯であったが、黒田の福岡城周辺の寺院地帯となり、多くの寺院がならび、その後天神地区の発展の余波をうけて、街の様子も急変している。
ながく福岡を離れていた身として、二人から近況を聞き、昔を思い出している次第である。
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