2015年12月27日日曜日

征清殉難烈士と孫文の歴史

20年ほど前に漢口や上海や台湾を旅したことがあり、中山記念館や銅像などをみた。

孫中山記念館

孫文肖像


先日,孫文の征清活動の解説を放送大学で聞き、また漢口楽善堂出身者などの征清殉難烈士の話をネットで
知った。
漢口駅



これらの事件は同じ時期かと思ったが、征清殉難烈士の多くは明治27年頃であり、辛亥革命は明治44年だから、15,6年のずれがある。
辛亥革命
九州出身者が多かった征清殉難烈士ことは、その後九州の政界・財界人が孫文の支援活動を活発におこなったことに通じている。

孫文の大アジヤ主義は、日本の大東亜共栄圏と一致するよう思われていた。
しかし孫文の本心は漢民族中心主義であり、五族共和も漢族中心の五族であったことを、放送大学の講義では強調していた。
日本中心の大東亜共栄圏のためでは、彼への支援はあまり有効ではなかったようだ。まして清国復活の満州国では、全く逆方向の政策だ。


民族の意識の差は大きいので、簡単に同盟をくんだり支援したりしても、すぐにくずれていまう。
いまの中・韓・日のギクシャクは当然の姿であろう。
日英同盟、日独伊同盟などの歴史をみても、いまの日米安保が絶対のものと安心できないことがわかる。

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