2015年12月4日金曜日

小柴昌俊から梶田隆章まで(ノーベル物理賞)

2015年梶田隆章ノーベル物理学賞は、2002年小柴昌俊氏のノーベル物理学賞の延長線上にあろうと単純に感じていた。

しかし、昨日のテレビ番組に刺激されて、詳しくしらべてみると、実験場所も実験装置も、物理内容も大きく異なり、この十数年間の日本の物理学会の発展がすばらしいことを知らされた。


その概要をまとめてみた。
実験場所の神岡鉱山(かみおかこうざん)跡は、岐阜県飛騨市(旧吉城郡神岡町)にあった亜鉛鉱山跡。
2001年6月に鉱石の採掘を中止したが、奈良時代養老年間(720年ごろ)に採掘が始まり、明治7年(1874年)に三井組が経営権を取得、近代化により国内初のトラックレス・マイニング法を取り入れるなど、大規模採掘を続けていた。
三井組経営から閉山までの総採掘量は、約130年間で7,500万トンにも達し、一時は東洋一の鉱山として栄えた。

神岡鉱山の亜鉛鉱石の主要鉱物である閃亜鉛鉱に含まれるカドミウムを原因とする、富山県神通川流域で発生した大規模な公害である。この公害により最も大きく発生した被害は、布団をかぶせただけで骨折し「痛い、痛い(いたい、いたい)」と叫んでしまう「イタイイタイ病」と呼ばれる公害病である。患者が神岡鉱山を操業していた三井金属鉱業株式会社(当時)を相手取り集団提訴し、1971年富山地方裁判所で患者原告が勝訴、名古屋高等裁判所金沢支部でも勝訴した。日本の四大公害病裁判において、最初の原告勝訴判決で、その後の公害病裁判に大きな影響を与えた

カミオカンデは、神岡鉱山茂住坑跡に1979年に建設が始まったのが東京大学宇宙線研究所ニュートリノ観測装置である。
世界最先端の研究施設の設置場所として、交通のアクセスも悪く他の研究機関からも離れた神岡鉱山が選定された理由は、
1)観測装置に必要な巨大な地下空間の作成に、岩盤強度の高い堅牢な飛騨片麻岩からなる地質が適していたこと
2)観測で使用する純水を調達する際に、豊富に坑内湧水が利用可能なこと
3)坑内気温が年間13 - 14℃と一定しており、観測に必要な環境の保持が容易なこと

が挙げられる。

カミオカンデはニュートリノの衝突を検出するため、超純水をつかう。カミオカンデの内部には超純水がためられており、ニュートリノが水の中の電子に衝突したあとに、高速で移動する電子より放出されるチェレンコフ光は青白く発光し、壁面に備え付けられた光電子増倍管で検出する。

チェレンコフ光を検出した光電子増倍管がわかると、計算によりどの方角からきたニュートリノによる反応かがわかるしくみになっている。1987年2月23日、カミオカンデはこの仕組みによって、大マゼラン星雲でおきた超新星爆発 (SN 1987A) で生じたニュートリノを偶発的に世界で初めて検出した。
この功績により、2002年小柴昌俊氏が、ノーベル物理学賞を受賞した。

さらに研究を拡大するためのスーパーカミオカンデは、1991年12月に、新しい空間の掘削を開始した。建設には旧神岡鉱山の運営者であった三井金属三井造船が参画した。
1993年8月に深さ40mの円柱状に掘り下げる工事が完了し、1995年中頃にタンクの建設が完成。
さらに1995年6月から光電子増倍管の取り付け作業と電子回路への接続が行われ、同年12月に完了した。
以後、2か月以上を要して5万トンのタンクを純水で満たし、1996年4月1日0時に完成した

SK-1
1996年4月1日0時から後述の破損事故までの時期を Super-Kamiokande I (SK-I) と称している
1998年には地球の反対側から飛来する大気ニュートリノの数が少ないことを示し、ニュートリノ振動の確たる証拠を世界に発信した。これにより、スーパーカミオカンデ実験グループはこの年の朝日賞を受賞している。
1999年には世界初の長基線ニュートリノ実験K2Kを開始し、大気ニュートリノで発見されたニュートリノ振動の検証に成功した。2001年にはカナダのSNO実験の結果と合わせ、太陽から来るニュートリノも振動していることを発見した

1996年にスーパーカミオカンデが稼動したことにより、カミオカンデはその役目を終え、カムランドとして生まれ変わった。)


2001年11月12日11時01分に光電子増倍管の70%を損失するという大規模な破損事故が発生した。光電管爆縮時の衝撃波による連鎖破壊で、原因は補修作業時の負荷で基部にクラックが入ったためとされている。 

SK-2
破壊された数量の光電子増倍管の生産には約4年を要するため、2002年光電子増倍管にプラスチックカバーを被せる防爆措置を行った上で、予備を加えた5,200本の光電子増倍管を再配置し、部分復旧された。これを「Super-Kamiokande II」と称している。

SK-3
2005年7月より、スーパーカミオカンデの完全再建計画の実行が東京大学本部を通じて文部科学省によって承認され、同年10月から観測を中止して破損光電管の交換作業を開始、2006年4月にほぼ完了した。2006年7月11日に建造時と同数の光電管を備えた「Super-Kamiokande III」と称して観測を再開した。

SK-4
2008年夏には、さらなる性能向上のために、信号読み出し回路の総入れ替えを行った。以降を「Super-Kamiokande IV」と称している。

(この間民主党の予算仕分けで、計画が延期されることもあった。)

本実験施設と KEK-PS(陽子加速器)を用いたニュートリノ振動実験によって、ニュートリノに質量があることが世界で初めて確認された。
この発見により2015年梶田隆章氏がノーベル物理学賞を受賞した。

さらに今後の計画としては、スーパーカミオカンデの20倍の規模(タンク体積100万トン)になるハイパーカミオカンデの建設計画(2025年の実現を目指す)が検討されている。

湯川博士のような理論物理学とは異なり、実験物理学の研究は大きな予算のかかる分野だが、つぎのノーベル賞も期待される話である。

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