2016年3月19日土曜日

水戸徳川家

水戸徳川家15代当主の徳川斉正氏がテレビ出演して。水戸徳川家の歴史を解説された。

まず話しは有名な徳川 光圀(水戸藩の第2代藩主:「水戸黄門」としても知られる)からはじまる。
水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男で、徳川家康の孫に当たる。

儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。
江戸時代後期から近代には白髭と頭巾姿で諸国を行脚してお上の横暴から民百姓の味方をする、フィクションとしての黄門漫遊譚が確立する。

しかし実際の光圀は日光鎌倉金沢八景房総などしか訪れたことがなく、関東に隣接する勿来熱海を除くと現在の、関東地方の範囲から出た記録は無い。

光圀には兄の頼重がいたが、徳川本家の跡継ぎより早く生まれたために第3代将軍徳川家光や英勝院の意向もあって、光圀が藩主となったという。それで3代水戸家党主には兄の子を養子にして継がせるという義理がたい道を選んだ。

幕末となり、徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)は、徳川幕府第15代
の最後の将軍に任じられた人物。
一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職禁裏御守衛総督など要職を務めた後に、徳川宗家を相続し、第15代将軍に就任した。大政奉還新政府軍への江戸開城を行なった。
しかし水戸徳川家とも血縁が深く、上の系図に示すように徳川斉正さんの曽祖父にあたる。
しかも慶喜の母は近衛家の出身で、血液の半分は尊王派であったから、大政奉還や江戸開城は当然の成り行きであったろうという解説であった。

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