2016年3月30日水曜日

筑紫と紫草


紫草の花は白いが、根から紫の染料がとれる。

古代の筑紫国は、紫草が特産品であった。

租税の一つの「調」では、あわびや綿と共に紫草が、大宰府の「蔵司」に納められていた。

大宰府には「貢上染物所」という担当部署があり、高級な紫色の染料として、筑紫の紫草の根をあつめて、大和におくっていた。高僧の紫衣をはじめ、貴族たちに好まれた染料であった。
木簡などから、大宰府周辺と大分県竹田の紫土知村などが産地であったようだ。竹田には紫八幡宮も存在している。



大宰府では、官人たちが日常や宴(うたげ)で歌を競ったので、太宰府に万葉歌碑が多いのもうなずける。

筑紫野市阿志岐(あしき)が、古代の「蘆城駅家(あしきえきや)」で、大宰府の官人たちがそこまで旅人を送り、別れの宴を催した。その送別の歌。 

韓人(からひと)の 衣染(ころもそ)むといふ 紫の
心に染みて 思ほゆるかも


(韓人が衣を染めるという紫の色のように、心に深くしみてあなたのことが思われます)

送別歌に、筑紫名産の染料や皮膚病の薬になる紫草が詠み込まれて、洒落(しゃれ)ている。
名産といえば、次の歌も。

しらぬひ 筑紫(つくし)の綿は 身に着(つ)けて
いまだは着ねど 暖(あたた)けく見ゆ

(筑紫産の真綿は、まだ身に付けて着たことはないけれども、暖かそうに見える)

『続日本紀(しょくにほんぎ)』の記述から推定すると、毎年90トン近い真綿が大宰府から平城京(へいじょうきょう)に納められていた。

菅原道真や歌王子の歌などもある。

 つくしにも 紫生ふる野辺はあれど なき名恋しむ 人そ聞えぬ

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