玉鬘:源氏物語で筑紫の地に育った唯一の姫君
紫式部の夫は大宰府赴任の経験があり、夫より筑紫の話を聴いて、玉鬘という人物の構想を描いたと言われる。
当時の筑紫の特産品は紫草であり、このことから紫式部の名前の登場したのかもしれない。
玉鬘は頭中将と夕顔の間に生まれた娘で、幼名は瑠璃君といった。母夕顔は頭中将の正妻に脅され姿を隠していた時に源氏と出逢い、逢瀬の途中に不慮の死を遂げる。
しかし乳母たちにはそのことは知らされず、玉鬘は乳母に連れられて筑紫へ流れる。そこで美しく成長し、土着の豪族大夫監の熱心な求愛を受けるが、これを拒んで都へ上京。長谷寺参詣の途上で偶然にも夕顔の侍女だった右近に再会、その紹介で源氏の邸宅・六条院に養女として引き取られる事となった。
その後髭黒との間に男児(侍従の君)、大君(冷泉院女御)、中君(今上帝尚侍)をもうける。田舎での生い立ちながら母よりも聡明で美しく、出処進退や人への対応の見事なことよと源氏を感心させた(なお「竹河」で玉鬘の後日談が語られる)。
「玉鬘」とは毛髪の美称辞。毛髪は自分の意に反して伸び続ける事から、文学では古来「どうにもならない事」「運命」を象徴する。『源氏物語』に登場する玉鬘も自らの美しさが引き起こす事件に悩む数奇な運命の女性であった。
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