2021年1月10日日曜日

兵庫県の有名な城崎温泉

 冬ごもり中の老体は、テレビで温泉巡りを楽しむだけである。

兵庫県の有名な城崎温泉をキノサキとよむ由来を、昨日初めて知った。
ここには温泉寺という千三百年の昔(養老年間)に城崎温泉を開いた道智上人により開創された古刹「温泉寺」がある。

                 温泉寺
「温泉寺」の本尊の観音像は 像高213.5cm、ヒノキ材、一木造、素地仕上。像の所々にはのみのあとが残り、素朴な力強さを像に与えている。
制作時期はその特徴から平安初期から中期にかけてである。
原木を上、中、下の三分割して、三体の観音像が彫られ、下部の大きな像は鎌倉に、中部の中像は京都に、上部の小形像が温泉寺に安置された。原木の先端部であることから、「木の先」とよばれ、城崎と表するようになったという。
本尊は33年ごとのご開帳の秘伝であるが、最近は毎年4月24日の開山忌に拝観できるそうだ。
1925年(大正14年)の北但馬地震で町は全焼するが、翌月には早くも82人の客が城崎を訪れていて、湯が沸いている限り客足は絶えなかった。現在の和風木造3階建ての町並みの多くは震災の復興の時の建物か、その時の建物に由来する。


震災まで旅館には内湯がなく、客は温泉街の各所にある外湯に通っていた。1927年(昭和2年)に三木屋旅館(『城の崎にて』ゆかりの宿)が震災復興の際に敷地内で掘り当てた泉源を利用して、城崎初の内湯を新築の旅館内に設置したところ、温泉地の伝統を壊すものとして、裁判沙汰になり20年以上の紛争に発展する。
1950年(昭和25年)になってようやく和解し、内湯の設置を認める代わりに、その規模を制限し、大浴場を希望する客は、従来通り外湯に通うこととした。
また、私有地の源泉を含めて全ての源泉を旧・城崎町「湯島財産区」が一括管理し、新たに掘削に成功した源泉の内湯への配湯を開始した。
また、1972年には新たに掘削した泉源を含めて上水道のような「温泉集中配湯管理施設」を構築し、各外湯や各旅館にバイプを通じて供給することとした。

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